暗号資産(仮想通貨)の世界では、どれほど堅牢なコードを書いても、たった一つの「人間の判断ミス」がすべてを台無しにすることがある。Solana(ソラナ)チェーン上の主要な分散型取引所(DEX)であるDrift Protocol(ドリフト・プロトコル)で発生した巨額流出事件は、その典型例となった。
今回の事件で特筆すべきは、攻撃者がプログラムのバグを突いたわけではないという点だ。Solanaが公式に提供している利便性のための機能を逆手に取り、運営メンバーの署名を巧妙に盗み出すことで、プロトコルの支配権を奪取したのである。
技術的な欠陥ではなく、運用上の隙を突かれた今回のハッキングは、今後のDeFi(分散型金融)プロジェクトが直面する新たな脅威を浮き彫りにしている。なぜ正規の機能が牙を剥いたのか、その巧妙な手口と背景を詳しく見ていこう。
Drift Protocolで2.7億ドルの巨額流出、コードのバグではない「巧妙な罠」

2026年4月1日、Drift Protocolから少なくとも2億7,000万ドル(約410億円相当)の資産が不正に流出した。被害額の大きさもさることながら、業界に衝撃を与えたのはその手法だ。Driftのコード自体には一切の脆弱性がなかったのである。
攻撃者は「durable nonces(デュラブル・ノンス)」と呼ばれるSolanaの正規機能を悪用した。これを利用して、プロトコルの管理権限を持つメンバーから、不正な送金を承認する署名を事前に取得していたのだ。この準備には1週間以上の時間が費やされていたことが判明している。
被害の概要と実行までのタイムライン
流出の実行自体は、わずか1分足らずの出来事だった。しかし、その裏側では用意周到な準備が進められていた。攻撃の起点は実行の約10日前にまで遡る。3月23日には、攻撃に関連する特別なアカウントが作成され、署名の収集が始まっていた。
攻撃者は、Driftの運営を担う「セキュリティ・カウンシル(安全保障会議)」のメンバー5人のうち、2人から承認を取り付けることに成功した。この承認は、日常的なルーチン作業に見せかけたソーシャルエンジニアリング(相手を騙して情報を引き出す手法)によって行われたと見られている。
4月1日の正午(米国東部時間)ごろ、攻撃者はあらかじめ取得していた署名をネットワークに送信した。これにより、プロトコルの管理者権限が攻撃者の手に渡り、金庫に保管されていたユーザーの預入資産が次々と引き出される事態となった。Driftに預けられていたほぼすべての資産が影響を受けた形だ。
Solanaの便利機能「durable nonces」がなぜ悪用されたのか

今回の事件の鍵を握る「durable nonces」とは、一体どのような機能なのだろうか。これを理解するためには、まずSolanaの標準的な取引の仕組みを知る必要がある。通常、Solanaでの取引には「有効期限」が厳格に定められている。
Solanaの取引には「recent blockhash(最新のブロックハッシュ)」というデータが含まれており、これがタイムスタンプの役割を果たす。このハッシュは約60秒から90秒で期限切れとなり、その時間を過ぎた取引は無効化される。これは、古い取引が何度も再利用される「リプレイ攻撃」を防ぐための重要な安全装置だ。
durable noncesの仕組みと本来の目的
しかし、この90秒という制限が不便になるケースがある。例えば、インターネットに接続していない「オフライン」の状態で署名を行う場合や、機関投資家が高度なセキュリティを持つカストディ(保管)サービスを利用する場合だ。こうした環境では、署名してからネットワークに送信するまでに90秒以上の時間がかかることが珍しくない。
そこで導入されたのがdurable noncesだ。これは、期限切れになるブロックハッシュの代わりに、オンチェーンに保存された固定の「ノンス(一度だけ使われる値)」を使用する仕組みである。これを使えば、一度署名した取引は、数日後でも数週間後でも、好きなタイミングで実行できるようになる。
つまり、durable noncesとは「有効期限のない、日付を空欄にした小切手」のようなものだ。本来は利便性と安全なオフライン署名のために用意された機能だが、これが攻撃者にとっては絶好の武器となってしまった。
取引の有効期限を無効化するリスク
durable noncesの最大のリスクは、一度署名を与えてしまうと、それを簡単に取り消せない点にある。通常の取引であれば、90秒待てば勝手に無効化される。しかし、durable noncesを使った取引は、攻撃者が実行ボタンを押すまで「生き続ける」のだ。
署名した本人が「何かおかしい」と気づいても、その取引を無効にするには、特定のノンスアカウントを操作して値を更新しなければならない。しかし、日常的に自分のノンスアカウントを監視しているユーザーは極めて稀だ。攻撃者はこの盲点を突き、署名を取得してから実行するまでの「タイムラグ」を自由に操ったのである。
攻撃者が仕掛けた「1週間にわたる準備」と実行の手口

攻撃の手順は非常に計画的だった。まず3月23日に、4つのdurable nonces用のアカウントが作成された。そのうち2つはDriftのセキュリティ・カウンシルのメンバーに関連付けられていた。この時点で、攻撃者は何らかの方法でメンバーを騙し、将来の不正送金を承認する署名を手に入れていたことになる。
興味深いのは、3月27日にDriftが行ったカウンシルメンバーの交代劇だ。運営側はメンバーを入れ替えることでセキュリティを高めようとしたが、攻撃者は即座に対応した。3月30日には、新しいメンバーの署名を含む新しいノンスアカウントが作成されている。攻撃者は、新体制になっても再び署名を騙し取ることに成功したのだ。
マルチシグ署名を騙し取ったソーシャルエンジニアリング
Driftの管理には「マルチシグ(多重署名)」が採用されていた。これは、5人の管理者のうち最低2人の署名がなければ重要な操作ができない仕組みだ。一人だけが暴走したり、鍵を盗まれたりしても被害を防げるはずの、業界標準の安全策である。
だが、攻撃者は「2人の署名が必要」というルールを逆手に取った。2人さえ騙せば、プロトコルを意のままに操れるからだ。Drift側の説明によれば、署名したメンバーは「日常的なルーチン業務の承認」だと誤認させられていたという。例えば、システムのアップグレードや少額の資金移動に見せかけた偽の取引データに署名させられた可能性が高い。
わずか数分で完了したプロトコル乗っ取り
4月1日、すべての準備を整えた攻撃者は牙を剥いた。まず、Driftが保険基金から正規のテスト送金を行った直後、攻撃者は保存していた「期限なしの署名」をネットワークに投げた。これにより、攻撃者が指定したアドレスに管理者権限を付与する手続きが完了した。
権限を手に入れた攻撃者は、すぐさまプロトコル内に「不正な引き出しメカニズム」を組み込んだ。その後は機械的な作業だ。Driftの金庫(ボルト)に保管されていた膨大なトークンが、次々と攻撃者のウォレットへと吸い上げられていった。この間、Driftのシステムは正常に稼働していると認識されており、異常を検知して停止するまでには手遅れの状態となっていた。
流出した2.7億ドルの行方とCircle社への批判

盗まれた資産は多岐にわたる。オンチェーン分析の結果、被害総額は約2億7,000万ドルに達した。最も多かったのはJPLトークンで、約1億5,560万ドル付近。次いでUSDCが約6,040万ドル付近、ビットコインのラップドトークンであるcbBTCが約1,130万ドル付近流出した。
他にもUSDT、wETH、SOLの派生トークンなど、Driftで取引されていた主要な銘柄が根こそぎ奪われた。攻撃者はこれらの資産を洗浄するため、NEAR ProtocolやBackpack、Wormholeといった複数のブリッジや取引所を経由させる複雑なルートを選択した。
盗まれたトークンの内訳と複雑な洗浄ルート
攻撃者のウォレットは、実行の8日前にNEAR Protocolを通じて資金供給されていた。実行後、盗まれた資産は一度中間ウォレットに送られ、そこからEthereum(イーサリアム)チェーンへとブリッジされた。最終的には、制裁対象となっているプライバシーミキサー「Tornado Cash(トルネード・キャッシュ)」に送り込まれている。
オンチェーン捜査官のZachXBT氏によれば、2億3,000万ドルを超えるUSDCが、Circle社のCCTP(クロスチェーン転送プロトコル)を利用してSolanaからEthereumへ移動したという。この移動には100回以上の取引が行われ、数時間の猶予があった。
中央集権的な発行体の対応とオンチェーン捜査の結果
ここで議論の的となったのが、USDCの発行元であるCircle社の対応だ。Circle社は中央集権的な権限を持っており、不正流出したUSDCをブラックリストに登録して凍結することができる。しかし、今回の事件では攻撃開始から6時間以上もの間、凍結措置が取られなかった。
ZachXBT氏は、この対応の遅れを厳しく批判している。もし迅速に凍結が行われていれば、被害額の大部分を占めるUSDCの流出は防げた可能性があるからだ。一方で、分散型の理念を重んじる立場からは、企業の独断による資産凍結への警戒感もあり、DeFiにおける中央集権的資産の危うさが改めて浮き彫りになった。
【独自分析】DeFiの脅威は「コード」から「人間」へとシフトしている

今回のDrift Protocolの事件は、近年の暗号資産ハッキングの傾向を象徴している。かつてはスマートコントラクトのバグを突く「技術的ハック」が主流だった。しかし、コードの監査(オーディット)が一般的になり、プログラムの堅牢性が増した結果、攻撃者のターゲットは「人間」と「運用プロセス」に移っている。
過去の事例を振り返れば、その兆候は明らかだ。取引所Bybitから約14億ドル付近が流出した事件や、Roninブリッジでの約6億2,500万ドル付近の流出も、根本的な原因は署名権限の奪取やソーシャルエンジニアリングだった。システムは完璧でも、それを扱う人間が騙されれば、セキュリティは無意味になる。
過去の事例との共通点
Driftの事件は、特にソーシャルメディアユーザー「Temmy」氏が指摘するように、過去の巨額ハックと多くの共通点を持っている。共通するのは「署名インフラの侵害」と「署名者の誤認」だ。攻撃者は、管理者が「何に署名しているか」を正確に把握できない状況を意図的に作り出している。
例えば、暗号化された複雑な16進数のデータを見せられ、「これはシステムメンテナンスのための承認だ」と言われれば、多忙な運営メンバーがつい署名してしまう隙は生まれる。特に今回悪用されたdurable noncesは、その署名がいつ実行されるか分からないという特性があるため、署名した瞬間の安心感が、将来の破滅を招く罠となった。
durable nonces悪用を防ぐための今後の課題
今回の教訓から、Solanaエコシステム全体でdurable noncesの扱いを見直す必要がある。この機能自体は有用だが、マルチシグのフロントエンド(操作画面)において、「これは有効期限のないdurable nonce取引である」という警告をより明確に出すべきだ。
また、運営側も「署名する環境」の厳格化が求められる。署名を行う前に、その取引内容を人間が読める形式にデコードして再確認するプロセスの徹底が必要だ。技術が進歩すればするほど、最後に残る脆弱性は「人間の心理」であるという事実は、すべてのDeFiユーザーが肝に銘じておくべきだろう。Driftの事件は、利便性とセキュリティのトレードオフを再考させる、極めて重い教訓となった。
この記事のポイント
- Drift Protocolから約2億7,000万ドルが流出したが、プログラムのバグは存在しなかった。
- Solanaの正規機能「durable nonces」が悪用され、取引の有効期限が無効化された。
- 攻撃者は1週間以上かけて運営メンバーから署名を騙し取り、管理者権限を奪取した。
- 流出資産はUSDCやJPLなど多岐にわたり、ブリッジを経てTornado Cashで洗浄された。
- DeFiのセキュリティ脅威が、コードの脆弱性から「人間レイヤー」の隙へと移行している。

暗号資産とブロックチェーンの可能性を追求するエミリー。
暗号資産投資、DeFi、NFT、WEB3、メタバースといった最先端分野を深く理解し、「エミリーズ・クリプト・インサイダー」を運営。
分かりやすい解説で、ブロックチェーン革命の潮流を一般に広めることを目指す。初心者から上級者まで、最新情報を求めるすべての人に役立つ情報発信を心がけている。
