AIを悪用した北朝鮮ハッカーの新手口、Zerionが約10万ドルの被害を報告

暗号資産業界において、技術的なバグよりも「人間の心理」を突く攻撃が深刻な脅威となっている。暗号資産ウォレット大手のZerion(ゼリオン)が、北朝鮮に関連するハッカー集団からAI(人工知能)を駆使した巧妙な攻撃を受けたことが明らかになった。

今回の事件では、従来のスマートコントラクトの脆弱性を突く手法ではなく、数週間にわたる対話を通じて信頼を築く「ソーシャルエンジニアリング」が用いられた。AIの進化によって、攻撃者はより自然な言語や画像を用いてターゲットを欺く力を手に入れている。

被害額こそ約10万ドルと、暗号資産市場の巨額ハッキング事件と比較すれば小規模に見えるが、その手法の巧妙さは業界全体に警鐘を鳴らしている。なぜ、最先端のセキュリティを誇る企業のスタッフが騙されてしまったのか、その裏側に迫る。

AIが加速させるソーシャルエンジニアリングの脅威

AIが加速させるソーシャルエンジニアリングの脅威

Zerionが発表した事後分析(ポストモーテム)によると、同社のチームメンバーが北朝鮮に関連する脅威アクターによる「AIを活用したソーシャルエンジニアリング攻撃」の標的となった。ソーシャルエンジニアリングとは、情報通信技術を駆使するのではなく、人間の心理的な隙やミスを突いて機密情報を盗み出す手法のことだ。

被害状況と迅速な対応

今回の攻撃により、攻撃者はチームメンバーの一部のログインセッションや認証情報、さらには会社のホットウォレットの秘密鍵にアクセスすることに成功した。ホットウォレットとは、インターネットに接続された状態で管理されている暗号資産ウォレットのことで、利便性が高い反面、攻撃の標的になりやすい性質を持つ。

結果として、約10万ドル相当の資産が盗まれる事態となった。しかし、Zerion側は異常を検知すると即座にウェブアプリを無効化するなどの予防措置を講じている。幸いなことに、ユーザーの資金やアプリ本体、インフラストラクチャへの影響は確認されていないという。被害を最小限に食い止めたのは、同社の迅速な初動対応があったからだと言える。

AIが変えるサイバー攻撃の質

Zerionは、今回の事件が「AIがサイバー脅威のあり方を変えていること」を証明したと指摘している。これまでのフィッシングメールや詐欺メッセージは、不自然な日本語や英語、あるいは粗い画像などから見破ることが比較的容易だった。しかし、AIツールの普及により、攻撃者は完璧な文法や、本物と見紛うばかりの偽画像、さらには偽の動画までを安価かつ大量に作成できるようになった。

つまり、これまでは「怪しい」と感じられた違和感が、AIによって巧妙に消し去られているということだ。専門知識を持つ開発者であっても、日常的なコミュニケーションの中に紛れ込んだAI製の罠を見抜くことは、かつてないほど困難になっている。

北朝鮮系ハッカー集団「UNC1069」の正体

北朝鮮系ハッカー集団「UNC1069」の正体

今回の攻撃は、セキュリティ同盟(SEAL)が調査していた一連の攻撃キャンペーンと酷似していることが判明した。その中心にいるとされるのが、北朝鮮に関連するハッカー集団「UNC1069」だ。彼らは単なるハッカーではなく、国家の支援を受け、組織的に外貨獲得を狙うプロフェッショナル集団として知られている。

164のドメインを操る組織的な攻撃

SEALの報告によれば、2026年2月から4月にかけてのわずか2カ月間で、UNC1069に関連する164ものドメインが追跡・ブロックされた。彼らはTelegram(テレグラム)、LinkedIn(リンクトイン)、Slack(スラック)といった、ビジネスや開発者のコミュニティで広く使われるプラットフォームを主戦場としている。

攻撃者は、実在する著名なブランドや、ターゲットが信頼している知人を装って接触を図る。あるいは、過去にハッキングして乗っ取った企業アカウントや個人アカウントを悪用することもある。これにより、ターゲットは「知っている相手からの連絡だ」と誤認し、警戒心を解いてしまうのだ。

数週間に及ぶ「低圧」な心理戦

UNC1069の手口の特徴は、その忍耐強さにある。彼らは「数週間にわたる低圧なソーシャルエンジニアリング・キャンペーン」を展開する。急いで送金を求めたり、不審なリンクをクリックさせたりするのではなく、まずは時間をかけて人間関係を構築し、信頼を勝ち取ることに注力するのだ。

Googleのサイバーセキュリティ部門であるMandiant(マンディアント)によると、彼らは偽のZoom会議を設定し、その最中にAIツールを使用して画像や動画をリアルタイムで編集・加工することさえあるという。画面越しに会話している相手が、実はAIで生成された偽物である可能性を疑わなければならない時代が来ている。

人的ミスを突く「ヒューマンレイヤー」への攻撃シフト

人的ミスを突く「ヒューマンレイヤー」への攻撃シフト

暗号資産業界のセキュリティといえば、これまではスマートコントラクトのコードの欠陥を見つけることが主流だった。しかし、北朝鮮系ハッカーの戦略は、技術的な脆弱性から「ヒューマンレイヤー(人間の層)」へと明確にシフトしている。

スマートコントラクトのバグよりも「人間」が狙われる理由

スマートコントラクトの監査体制が強化される中で、技術的な隙を見つけるコストは年々上昇している。一方で、人間を騙すコストはAIの登場によって劇的に低下した。ハッカーにとって、複雑なコードを解析するよりも、管理権限を持つスタッフを一人騙すほうが「コストパフォーマンス」が良いのだ。

北朝鮮系ハッカーにとって、ヒューマンレイヤーは暗号資産企業への主要な侵入口となっている。どれほど強固な暗号技術で守られていても、鍵を持つ人間が自らその鍵を渡してしまえば、セキュリティは無意味化する。この「信頼の兵器化」こそが、現代のサイバー攻撃における最大の脅威だと言えるだろう。

Drift Protocolが受けた2億8,000万ドルの衝撃

Zerionの事件に先立ち、今月にはDrift Protocol(ドリフト・プロトコル)も同様の被害を受けている。こちらは「構造的な諜報作戦」によって、約2億8,000万ドルという巨額の資金が流出した。この事件も北朝鮮系ハッカーによるものとされており、彼らの攻撃がいかに組織的で大規模であるかを物語っている。

Drift Protocolの事例でも、単一のバグではなく、長期的な準備と人間関係の悪用が背景にあったことが示唆されている。国家規模の予算と時間をかけ、AIという強力な武器を手に入れたハッカー集団に対し、個別のプロジェクトが単独で対抗するのは極めて困難な状況だ。

プロジェクト内部に潜む「見えない敵」

プロジェクト内部に潜む「見えない敵」

さらに衝撃的なのは、ハッカーが外部から攻撃を仕掛けるだけでなく、内部から侵食しているという事実だ。MetaMaskの開発者であり、著名なセキュリティ研究者のTaylor Monahan(テイラー・モナハン)氏は、北朝鮮のIT労働者が長年にわたり業界に潜り込んでいると指摘している。

7年前から続く北朝鮮IT労働者の潜入工作

モナハン氏によれば、北朝鮮のIT労働者は少なくとも7年前から、暗号資産企業やDeFi(分散型金融)プロジェクトに身分を偽って雇用されている。彼らは有能なエンジニアとして振る舞い、プロジェクトのコードに貢献しながら、いざという時のためのバックドア(裏口)を仕込んだり、機密情報を収集したりしているという。

つまり、あなたが毎日Slackで会話を交わし、コードレビューを依頼している同僚が、実は北朝鮮の工作員である可能性も否定できないということだ。これはSF映画の話ではなく、現在の暗号資産業界が直面している現実である。

開発者の信頼を武器にするリスク

ブロックチェーンセキュリティ企業のElliptic(エリプティック)は、北朝鮮のソーシャルエンジニアリング技術の進化とAIの普及により、脅威は取引所だけでなく、個々の開発者やプロジェクト貢献者、インフラへのアクセス権を持つすべての人に及んでいると警告している。

開発者コミュニティは本来、オープンで信頼に基づいた協力関係を重視する文化がある。しかし、その「善意のネットワーク」こそが、攻撃者にとっては格好の狩場となっている。信頼を武器にする攻撃に対して、我々は「誰を、どこまで信じるべきか」という根本的な問いを突きつけられている。

【独自分析】AI時代のセキュリティは「疑うこと」から始まる

【独自分析】AI時代のセキュリティは「疑うこと」から始まる

ZerionやDrift Protocolを襲った一連の攻撃は、これまでのセキュリティの常識を覆すものだ。AIによって「完璧な偽物」が作れるようになった今、我々はどのような防衛策を講じるべきなのだろうか。筆者は、技術的な対策以上に「組織文化の変革」が重要になると考えている。

ディープフェイクがもたらす「本人確認」の無効化

AIによる画像・動画編集技術、いわゆるディープフェイクは、ビデオ通話による本人確認すら無効化しつつある。上司や同僚と顔を見ながら話していても、それが本人である保証はない。このような状況下では、「見た目」や「声」といった直感的な情報を鵜呑みにせず、複数の経路で事実を確認する「マルチチャネル認証」の徹底が不可欠だ。

例えば、重要な操作を行う前には、ビデオ通話だけでなく、あらかじめ決めておいた物理的な合言葉を使用したり、別の連絡手段で承認を求めたりするなどのプロセスが求められる。利便性は低下するが、AI時代の信頼コストとして受け入れるしかないだろう。

組織として取り組むべき多層的な防衛策

また、個人の注意に頼るのではなく、システムとして被害を最小化する設計が必要だ。秘密鍵の管理にはマルチシグ(多重署名)を導入し、一人のスタッフが騙されただけでは資産が流出しない仕組みを構築するのは基本中の基本だ。さらに、ホットウォレットに置く資金を最小限に抑え、コールドウォレットとの分離をより厳格に行うべきだろう。

何よりも、従業員に対する教育の内容をアップデートし続ける必要がある。最新のAI攻撃の事例を共有し、「自分も狙われている」という当事者意識を持たせることが、最大の防御壁となる。暗号資産の未来を守るのは、高度なコードだけでなく、私たち一人ひとりの「健全な疑い」なのかもしれない。

この記事のポイント

  • 暗号資産ウォレットZerionが北朝鮮系ハッカーによるAI活用の攻撃を受け、約10万ドルを失った。
  • 攻撃者はAIを駆使して自然な対話を行い、数週間にわたってターゲットの信頼を勝ち取る巧妙な手法を用いた。
  • 北朝鮮系ハッカーは技術的バグよりも、人間の心理的な隙を突く「ヒューマンレイヤー」への攻撃を強めている。
  • 過去にはDrift Protocolが同様の手法で約2億8,000万ドルの被害を受けており、組織的な潜入工作も常態化している。
  • AI時代のセキュリティには、ビデオ通話すら疑う「マルチチャネル認証」や、システム的な多層防御が不可欠となっている。
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