分散型金融(DeFi)の最大手プロトコルの一つであるAaveにおいて、技術的な設定ミスに起因する大規模な強制清算が発生した。2026年3月10日、特定の担保資産の価格評価が市場実勢からわずか2.85%乖離したことで、約2,700万ドル(約40億円)相当のユーザーポジションが自動的に閉鎖された。
この事態は、スマートコントラクトによる自動化されたリスク管理の効率性と、同時に孕んでいる脆弱性を浮き彫りにした。市場の暴落ではなく、システム内部のパラメータの不整合が引き金となった点で、DeFiインフラの運用難易度の高さを示している。
本記事では、リスク監視企業Chaos Labsの報告に基づき、なぜわずかな価格誤差が巨額の清算を招いたのか、その技術的背景とプロトコルの対応について詳説する。
事件の概要と市場への影響

2026年3月10日、Aaveのレンディング市場で異例の清算の波が観測された。通常、大規模な清算は暗号資産市場全体の急落に伴って発生するが、今回のケースでは特定の資産に対する評価ミスが直接の原因となった。Chaos Labsのデータによれば、わずか24時間の間に約2,700万ドルものポジションが清算されたという。
2,700万ドルの清算が発生した背景
清算の対象となった主な資産は、wstETH(Wrapped Staked Ether)を担保にしていたポジションだ。wstETHとは、イーサリアム(ETH)をステーキングした際に受け取る受領証のようなトークンを、さらにDeFiで使いやすく加工したものである。ステーキング報酬が蓄積されるため、理論上は常に1 ETHよりも高い価値を持つ。
事件当時、市場でのwstETHの適正価格は約1.23 ETHであった。しかし、Aaveのシステム内では一時的に約1.19 ETHとして計算されていた。この約2.85%の過小評価により、本来は安全圏にあったはずの借入ポジションが「担保不足」と判定され、システムによって強制的に売却処理が進められたのである。
わずか2.85%の乖離が招いた連鎖反応
DeFiのレンディング(貸付)では、借り手は担保価値の一定割合までしか資産を借りることができない。この比率をLTV(Loan to Value:借入比率)と呼ぶ。担保価値がわずか数パーセントでも減少すれば、設定された閾値を下回り、即座に清算エンジンが作動する仕組みだ。
特にレバレッジ(証拠金取引)をかけて効率的に運用していた大口投資家にとって、2.85%の評価下落は致命的であった。担保価値が目減りしたと見なされた結果、安全性が高いとされていたポジションまでが次々と清算ラインに接触し、巨額の清算が実行される連鎖反応を招いた。
wstETHの特性と価格評価の仕組み

今回の事件を理解するためには、担保資産となったwstETHの性質を把握する必要がある。wstETHは、Lido Financeが提供するリキッドステーキングトークン(LST)の一種だ。LSTとは、ステーキング中の資産をロックせずに、その価値を証明するトークンとして流通させる技術である。
リキッドステーキングトークンの役割
通常、イーサリアムをステーキングすると、その資産はネットワークの維持のために固定され、自由に動かすことができない。しかし、Lidoなどのプロトコルを利用すると、ステーキングした証明としてstETHを受け取ることができる。これをさらに「ラッピング」したものがwstETHだ。
wstETHの最大の特徴は、ステーキング報酬がトークンの枚数ではなく「価値」に反映される点にある。つまり、1枚のwstETHが表すETHの量は時間の経過とともに増えていく。そのため、Aaveなどのレンディングプロトコルでは、常に「1 wstETH = 〇〇 ETH」という最新の交換レートを正確に把握し続ける必要がある。
なぜ価格乖離が生じたのか
DeFiプロトコルは外部の価格情報を取得するために「オラクル」という仕組みを利用する。オラクルはブロックチェーンの外側にある市場価格を読み取り、スマートコントラクトに供給する役割を担う。今回の事件では、このオラクルから送られてくる情報そのものではなく、受け取った情報をプロトコル内で処理する際の「制限」に問題があった。
市場ではwstETHの価値が上昇し続けていたのに対し、Aave側の設定がその上昇に追いついていなかったことが原因だ。これにより、実勢価格よりも低い価格が計算に用いられ、あたかも担保価値が急落したかのような誤認識がシステム内で発生したのである。
技術的要因:リスク管理システム「CAPO」の誤設定

Chaos Labsの事後調査によれば、今回の清算劇の根本原因は、Aaveが導入している「CAPO(Correlated Assets Price Oracle)」というリスク管理モジュールの設定ミスにあることが判明した。これはオラクル自体の故障ではなく、プロトコルを保護するための安全装置が裏目に出た形だ。
CAPO(相関資産価格オラクル)とは何か
CAPOは、ETHとwstETHのように、価格が強く相関している資産ペアに対して適用される特殊なオラクルシステムだ。このシステムの役割は、急激な価格の乱高下やオラクルの操作(エクスプロイト)を防ぐために、資産の交換レートに「上限(キャップ)」を設けることにある。
例えば、悪意のある攻撃者がオラクルを操作してwstETHの価格を不当に吊り上げたとしても、CAPOが設定した上限を超えた数値は採用されない。これにより、過剰な借り入れや不正な清算からプロトコルを守る設計となっている。つまり、本来はユーザーの資産を守るための「盾」として機能するはずのシステムであった。
スマートコントラクトのパラメータ不整合
今回のエラーは、CAPOを構成するスマートコントラクト内の「基準交換レート」と「タイムスタンプ」という2つの数値が同期していなかったことで発生した。Chaos Labsの報告によれば、これらのパラメータが古いままであったため、CAPOは「現在の市場価格は異常に高すぎる」と誤判定し、人為的に低い価格を上限として適用してしまったという。
その結果、市場価格が1.23 ETHであるにもかかわらず、Aaveのシステムは1.19 ETHを上限として認識し続けた。この「上限設定のミス」が、結果として大規模な強制清算のトリガーとなった。技術的な安全策が、パラメータの更新漏れという運用ミスによって、逆にリスクを引き起こす要因となったのである。
プロトコルの健全性とユーザーへの補償

約2,700万ドルという巨額の清算が発生したものの、Aaveプロトコル全体の安定性には影響がなかったとされている。清算プロセスそのものはスマートコントラクトの設計通りに実行され、プロトコルが損失を被る「不良債権」の発生も免れた。
不良債権の発生は回避
Aaveの創設者であるスタニ・クレチョフ氏は、自身のX(旧Twitter)において「Aaveプロトコルへの直接的な影響はなかった」と言及している。清算エンジンは正常に作動し、担保を売却することで借入金の回収は完了した。これにより、プロトコルの貸し手(流動性提供者)の資産が失われる事態は避けられた。
一方で、清算を実行した「清算人(ボットを運用するトレーダー)」たちは、この価格乖離を好機として活用した。彼らは約499 ETH(約110万ドル相当)の利益を上げたという。清算人は担保を割引価格で買い取ることができるため、今回のような大規模な清算イベントは、彼らにとって莫大な収益機会となる。
Aave DAOによる救済措置の検討
システム側の不備によって資産を失ったユーザーに対し、Aaveのガバナンス組織(DAO)は補償を検討している。具体的には、DAOのトレジャリー(財務)資金を用いて、不当に清算されたユーザーへの返金を行う提案が出されている。これは、DeFiプロジェクトが技術的なインシデントを「自己責任」で片付けるのではなく、インフラ側のリスクとして責任を負う姿勢を示している。
このような補償対応は、DeFiの信頼性を維持する上で極めて重要だ。ユーザーが自分の過失ではなく、プロトコルの設定ミスで資産を失うことが常態化すれば、機関投資家などの大口資金の流入は阻害される。Aave DAOの迅速な対応は、分散型ガバナンスが成熟しつつある兆候とも取れる。
独自分析:DeFiインフラにおける「多重防御」の危うさ

今回の事件は、DeFiプロトコルが高度化・複雑化する中で生じる「複雑性のリスク」を象徴している。Aaveは単一のオラクルに依存せず、CAPOのような追加の保護レイヤーを設けることで、セキュリティを強化しようとした。しかし、その防御策そのものが新たな故障点(Single Point of Failure)となった事実は重い。
セキュリティの世界では「多重防御」は基本だが、それぞれのレイヤーが相互に依存し、複雑な計算を伴う場合、人間による設定ミスや同期の遅れが予期せぬ挙動を招く。特にLSTのような「価値が時間とともに変化する資産」を扱う場合、静的なパラメータ設定がいかに危険であるかが証明された。
今後、DeFiプロトコルには、こうしたパラメータ設定の自動更新や、異常を検知した際に清算を一時停止する「サーキットブレーカー」のような、より動的で柔軟なリスク管理が求められるだろう。また、ユーザー側も「大手プロトコルだから安心」と過信せず、担保比率に十分な余裕を持たせるなど、技術的リスクを織り込んだ運用が不可欠である。
この記事のポイント
- AaveでwstETHの価格評価が市場価格より2.85%低く算出され、約2,700万ドルの強制清算が発生した。
- 原因はオラクルの故障ではなく、リスク管理システム「CAPO」内のスマートコントラクトの設定ミス(パラメータの不整合)であった。
- プロトコル自体に不良債権は発生しておらず、Aave DAOは影響を受けたユーザーへの補償を検討している。
- LidoおよびwstETHの仕組み自体には問題がなく、あくまでAave側の価格処理プロセスにおけるエラーであった。
- DeFiの複雑なリスク管理システムが、運用の不備によって逆にリスクを生む可能性があることを示した事例となった。
出典
- Cointelegraph「How a 2.85% price error triggered $27M in liquidations on Aave」(2026年3月16日)
- Aave Governance Forum「Post-mortem: Exchange rate misalignment on wstETH Core and Prime instances」
- Chaos Labs Risk Monitoring Reports(2026年3月10日)

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